2012.01.28

孫の誕生日

孫の○太郎がめでたく満二歳の誕生日を迎えた。これまで熱を出したり、下痢をしたりなど病気とは無縁ですくすくと育っている。好き嫌いが全く無く、良く食べ、よく眠り、健康そのものである。2012_0128_124330cimg1230

「○たろうくん」と記されたチョコプレートを付けたバースデーケーキを携え、娘宅での誕生祝いに行ってきた。昨年はショートステイで我が家に来ていたので、少し早めに一歳の誕生祝いを我が家で行った。その日、バースデーケーキを前にしての記念撮影は、ご機嫌斜めで泣き出してしまい、写真にならなかった。その後の1年間の成長は著しく、未だ食べたことのないケーキに興味津々で、生クリームを指で突いて舐めたりしている。2本のローソクを立て、皆で「♪ハピイバースデートゥユー」を唄って祝った。今日が何か特別な日であることは理解しているようで、神妙に皆の歌を聴いていた。2012_0128_134055cimg1235

○太郎は今月から週1回幼児教室に通い始めた。これは一人っ子の○太郎に早く社会性を身につけさせるためで、1時間のクラスに10人の2~3歳児が参加している。当初は親から離れると泣き出してしまうのではないかと心配したが、全く杞憂に終わった。母親の存在など忘れたかのように、嬉々として教室に入り、泣きやまない他の幼児たちを不思議そうな顔で眺めていたとのこと。先ずは一安心である。

近ごろは単語を並べるだけでなく、色々な言葉を覚え使い始めている。「○ちゃんも食べる」や「公園に行く」など主語・述語をはっきりさせた話し言葉になってきた。時には自分で言葉を作り、まるでおやじギャグのように我々を笑わせてくれる。

食卓の幼児用の高い椅子から降りる際、「おりるれろ」と云いながら降りる。最初は何を云っているのか分からなかったが、五十音の「らりるれろ」をもじっているのに気がついた。また公園で遊んでいる子供達がハッハハ・・・と笑っていたら、それを聞いて「ハッハヒフヘホ」と一人言を云いながら喜んでいた。どうやら一歳頃から五十音の絵本を読んでいたので、似たような言葉を聞くと、五十音を連想するのであろう。2012_0128_134510cimg1239_2

幼児教室では、そのうちiPadでお絵かきをするというので、父親がiPadを与えて遊ばせている。○太郎は画像を見たり写真を撮ったりと自在に使いこなしている。人差指をピンと立てスクロールする様子はサマになっており、大人顔負けである。二歳からPCを使うようになるとは、頼もしいような、末恐ろしいような複雑な気持ちである。

2012.01.24

第26回 NHK能楽鑑賞会

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一調一声 「三井寺」 小鼓 大倉源次郎 シテ 本田光洋

狂言 「文山立」 シテ 山本則俊 アド 山本則秀

能 「船弁慶」 重キ前後之替 名所教 船唄 前シテ/静御前 後シテ/平知盛の怨霊 梅若玄祥 子方/源義経 梅若秀成 ワキ/弁慶 殿田謙吉 ワキツレ/従者 大日向寛 同 則久英志 アイ/船頭 山本東次郎 笛 一噌隆之 小鼓 観世新九郎 大鼓 柿原弘和 太鼓 助川治 地頭 観世喜正 主後見 梅若長左衛門

横浜能楽堂で毎年開かれるNHK主催の能楽鑑賞会を観た。観覧希望者はハガキで応募するのだが、抽選で外れ当たったことが無い。今年は幸い当選し、2名まで入ることができる入場整理券が送られてきた。当日、会場で座席指定券と引き換えになるので、妻を連れて行列に並んだ。後ろの席になるのではと心配したが、正面の4列目という申し分ない席に座ることができた。

正面及び脇正面には撮影用のTVカメラが据えられ、いつもの雰囲気とはやや異なる。しかも正面、脇正面とも後ろの数列は全て空いており不思議だ。係の人に尋ねると、座席数以上の整理券を送っていても、当日会場に来ない人が多数いるとのこと。抽選に当たっても、当日会場に来ないというのは勿体ない話だ。

「船弁慶」は歌舞伎でも演じられるポピュラーな曲。前半は義経と別れ都へ帰る静御前、後半は平知盛の幽霊が主人公である。静と動との変化や、アイ狂言の船頭の語りなど見どころが多い。名手玄祥は前半の静御前は、巨体が邪魔をしていささか情緒に欠けるものの、後半になると面目躍如たるものがあり、テンポの早い舞や動きは迫力満点であった。またアイの東次郎の語りも力の入った熱演であった。

2012.01.19

松籟会 1月例会

毎月第3木曜日に開かれる素謡の会「松籟会」に参加した。番組は「神歌」「高砂」「千手」「鞍馬天狗」の四番。初会は恒例により日本酒の乾杯から始まる。今年は世話役のI氏が用意した新潟の銘酒「越乃寒梅」であった。

「神歌」は「翁」の歌詞に当たるものでおめでたい曲である。長老のK氏がシテ役の翁を勤め「とうとうたらりたらりら・・・」と謡い出す。謡会などでは殆んど謡われることは無く、しかも難しい。稽古をしたこともないので、小声で皆について謡った。

私の役は「高砂」のワキであった。ワキは阿蘇の宮の神主であるので、高い調子でしっかりと謡った。神主らしくなったのではと思っている。この曲の「四海波静かにて・・・」や「高砂や。この浦舟に帆をあげて・・・」は嘗て結婚式披露宴での定番であったが、今では謡われる機会が減ってしまった。残念である。

2012.01.15

銕仙会 1月定期公演

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「翁」 翁 観世銕之丞 千歳 観世淳夫 三番叟 山本東次郎 面箱 山本則秀 笛 藤田六郎兵衛 小鼓頭取 大倉源次郎 小鼓脇鼓 田邊恭資 同 飯塚孔明 大鼓 柿原崇志 地頭 野村四郎 主後見 片山九郎右衛門 

狂言 「佐渡狐」 シテ/佐渡の百姓 山本則俊 アド/越後の百姓 山本則秀 アド/奏者 山本則重

能 「箙」 前シテ/里人 後シテ/梶原源太景季 谷本健吾 ワキ/旅僧 殿田謙吉 ワキツレ/従僧 坂苗融 同 大日向寛 アイ/生田ノ里人 山本凛太郎 笛 寺井宏明 小鼓 幸正昭 大鼓 柿原光博 地頭 浅井文義 主後見 観世銕之丞

能 「鷺」 シテ/鷺 浅見真州 ツレ/王 片山九郎右衛門 ワキ/蔵人 宝生閑 ワキツレ/大臣 宝生欣哉 ワキツレ/従臣 宝生朝哉 同 坂苗融 大日向寛 高井松男 同 輿舁 殿田謙吉 同 平木豊男 アイ/官人 山本則俊 笛 一噌庸二 小鼓 幸清次郎 大鼓 亀井忠雄 太鼓 助川治 地頭 山本順之 主後見 野村四郎

銕仙会の初会に行った。お正月らしく見所は和服姿も多く華やいだ雰囲気である。

「翁」 能にして能にあらずと云われる神事で、銕之丞・淳夫親子が厳かに天下泰平・国土安穏を祈念して舞い、三番叟の東次郎がベテランらしくゆったりと五穀豊穣を祈念して舞った。

「箙」 箙に梅の枝を挿して戦ったという風流な若武者、梶原源太景季が主人公。銕仙会若手の谷本健吾の凛々しく、力強い舞であった。

「鷺」 帝から官位を授かった鷺が喜びの舞を舞う。白一色の装束で少年か還暦を過ぎた能役者にしか許されない曲とのこと。古稀を迎えた真州の舞が美しい。ワキなどに出演の宝生閑親子・孫の共演が花を添えた。

終演後は恒例の新年会であるが、年末のS氏の入院、仙台在住のOさんの欠席、Suさんの風邪などで3人だけのささやかな新年会であった。

2012.01.08

潮謡会 1月例会

毎月第1日曜日に開かれる素謡の会「潮謡会」に参加した。今年の謡い初めである。今月は第1日曜日が元日のため、繰り下げて8日となった。第2日曜日は、同じ素謡の会「閑謡会」が開かれるので重なってしまったが、幹事役Y氏のたっての要請もあり「潮謡会」に出ることにした。

番組は「老松」「巴」「雲林院」「求塚」「野守」の素謡5番で、昼を挟んでの長丁場である。今月はお正月で様々な初会が開かれ、それに参加するためベテランのYa氏、W氏が欠席となってしまった。しかも幹事役のY氏までが、腰痛のため歩くこともままならないとのことで、前日に欠席の連絡を受けた。

そのため、役として「求塚」のシテ、「巴」「野守」の地頭を勤めることになった。「求塚」は二人の男に言い寄られた乙女が、自ら命を絶ち、二人の男も刺し違えて死んでしまうという凄絶な物語である。前半は美しい春の若草摘みの風景から、後半は地獄の責め苦を描いている。陽から陰へと対照的な場面の変化があり、重習初伝となっている難しい曲である。正式に習ったことはないが、幸いFM番組を録音したテープがあったので、それを聴きながら俄か勉強をして臨んだ。

「求塚」のシテ役はどうにかサマになったと思うが、「巴」「野守」を地頭として謡う頃には、すっかり喉が嗄れ、ガラガラになってしまった。高い音も掠れる始末で、稽古不足を露呈してしまった。反省することの多い謡い初めであった。

2012.01.01

2011年の回顧と新年に思うこと

未曾有の大震災と原発事故に見舞われた2011年が終わり、新しい年を迎えた。復興が遅々として進まない被災地や、放射能汚染により住み慣れた地を追われた人々の事を思うと、喜んで新年を祝う気持ちになれない。2011年を永遠に忘れないために回顧してみたい。

仕事 アルバイトとして週に2~3回、新橋にある小さなコンサル会社で仕事をしている。3月11日は会社で机に向かっていた。かって経験したことのない激しい揺れに、すぐさま机の下に潜り込んだ。室内のキャビネットが数本倒れたが、全員怪我もなく幸いであった。しかし交通機関が全て停まり、帰宅難民となってしまった。年度末を控え、仕事に追われていた時期であり、明け方近くまで仕事に没頭できたのがせめてもの救いである。

観能 月2回のペースで年24公演程度を考えていたが、21回能楽堂に足を運んだ。能30番、狂言19番を観た。どれも印象深い舞台であったが、特に心に残る舞台は「融」観世清和(藤波重満三年祭追善能)、「融」友枝昭世(国立能楽堂定例公演)、「姨捨」山本順之(山本順之の会)、「杜若」関根知孝(閑能会)である。

謡会 それまで好謡会・松籟会・閑謡会に参加していたが、3月から奇数月の第1日曜日に開かれる潮謡会に入れて頂き、26回の謡会に出席して素謡83番・連吟14番を謡った。そのうち役としてシテを勤めたのは14番であった。

ガーデニング 自宅の近くに約20坪の畑を借り、野菜作りを楽しんでいる。「愛菜園」仲間15人は3人入れ替わり、少し平均年齢が下がった。7~8年前迄は、菜園の敷地内で「収穫祭」と称して芋煮会などを楽しんでいたが、今は敷地も狭くなり、火を焚くことが出来ないのが残念である。冬野菜は11月過ぎまで高温が続いたせいか、アブラ虫や青虫などが元気で、大根や白菜などが一部やられてしまい、満足のいく収穫ではなかった。夏野菜のトマト・ナス・キュウリなどは、孫の○太郎がオイシイ・オイシイと喜んでくれるので、毎週せっせと娘宅に届けた。庭の桃は摘果が上手くいかず小粒になってしまった。数を欲張り過ぎたせいであろう。今年は心を鬼にして、数を減らし、大粒になるよう心がけたい。

ゴルフ 震災後自粛していたこともさることながら、ゴルフ仲間を二人も失ったため、ラウンド回数が激減し、4回しかプレーしなかった。ゴルフの実力も伯仲し、会社時代からの飲み仲間でもあったO氏とは、年に数回定期的にプレーし、らいおん会などのコンペでも顔を合わせていた。肝臓ガンと診断され、1年後に逝ってしまった。またY氏とは会社時代には一緒にプレーした回数は少ないが、最近の2~3年は4半期に一度のペースでプレーしていた。一昨年9月に肺ガンと宣告され、抗癌剤などの投薬などで闘っていたが、残念ながら5月に負けてしまった。O・Y氏の他にも4人組のS氏の入院、らいおん会メンバーのI氏K氏の故障なども戦線離脱である。不思議なもので、一度ゴルフから遠ざかると、ゴルフに対する熱意が冷めてしまい、プレーしても向上心が湧かない。今年もゴルフの優先順位は現状維持が精一杯であろう。

映画・他 好きな映画も震災前に3本観たに留まってしまった。「最後の忠臣蔵」「悪人」「英国王のスピーチ」といずれも話題作で面白かった。震災後は育ジイに励んだため、映画館に足を運ぶ時間が無くなってしまった。その代わり夏には神奈川芸術劇場での杉本文楽「曽根崎心中」を観る機会に恵まれた。映像や照明など演出を工夫し面白かった。今年は文楽劇場での舞台を観たいと思う。

旅行 2月に優悠会で水上、5月に兄弟会で御宿、7月に中欧4ヶ国、10月にトルコを旅行した。今年は水上での優悠会はS氏の入院により延期となったが、兄弟会は従来通り、海外は北欧か中国を予定している。

育ジイ 今月28日に2歳になる孫の○太郎は可愛い盛りである。車で30分程度のところに住んでいるので、これ幸いとばかり毎週押しかけたり、月に1度はショートステイと称して我が家に連れてきている。熱を出したり、風邪一つひかない健康優良児で、知識欲も旺盛である。今年も更に育ジイ・育バアに精を出し、○太郎の成長を側面援助したい。

2011.12.23

藤波重満 三年祭追善能

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素謡 神歌 藤波重和 今井泰介 連吟 海士

仕舞 「経正」 松本尚之 「天鼓」 下平克宏 

能 「砧」 前シテ/蘆屋某ノ北方 後シテ/北方ノ亡霊 藤波重彦 ツレ/夕顔 藤波重彦 ワキ/蘆屋某 森常好 アイ/下人 高澤祐介 大鼓 安福建雄 小鼓 亀井俊一 笛 寺井久八郎 地頭 山階彌右衛門 副 観世芳伸 主後見 寺井栄

仕舞 「安宅」 藤波重光 「羽衣」 観世三郎太 「道明寺」 観世恭秀 「采女」 関根祥六 「隅田川」 谷村一太郎 「阿漕」 武田志房

狂言 「清水座頭」 シテ/座頭 三宅右近 アド/女 三宅近成

仕舞 「通盛」 角寛次郎 「江口」 野村四郎 「通小町」 坂井音重 「鵜之段」 木月孚行

能 「融」 思立之伝 酌之舞 前シテ/尉 後シテ/融大臣 観世清和 ワキ/旅僧 宝生閑 アイ/所ノ者 三宅右矩 大鼓 亀井忠雄 小鼓 幸清次郎 太鼓 観世元伯 笛 一噌庸二 地頭 岡久廣 主後見 武田宗和 

藤波重満追善能の切符を松籟会でお世話になっているI氏から譲って貰い、松寿の観世会館で観た。本年最後の観能なので、たまには家族サービスと思い妻を案内した。追善能ながら「三年祭」となっているのは藤波家は代々神道だからである。従って番組も、素謡「神歌」で始まり、能2番、仕舞12番、狂言1番、連吟1番と盛り沢山である。

帰郷せぬ夫を待ちわびる妻を描いた「砧」は世阿弥の晩年の名作である。シテを演じた会の主宰者藤波重彦の熱演が印象深いが、披きということもあり、やや力が入り過ぎの感があった。 しかし彌右衛門・芳伸兄弟による地謡陣の息がぴったり合いメリハリの効いた謡が迫力充分であった。

「融」もまた世阿弥に作品である。月に照らされながら、昔を懐かしんで舞う融大臣を描いている。観世宗家清和の「融」を初めて観るが、幻想的に舞う融大臣を見事に再現した。16日に観た友枝昭世の「融」も印象深いものであったが、流派や小書の違いはあるにせよ、宗家の「融」も実に見応えのある舞台であった。

ところで、いつも若者で大混雑の渋谷センター街には珍しい日本そば屋が一軒ある。ここは何時行っても必ず入れる、いわば穴場である。終演後、ここで妻と一足早い年越しそばを食べながら、舞台の余韻を楽しんだ。

2011.12.22

孫の単身お泊り

孫の○太郎が2泊3日でやって来た。しかも一人でのお泊りである。来年1月から幼児教室に通うことになった孫が、親と離れても一人で過ごせるよう、訓練の積もりで預かった。娘宅へ迎えに行き、「今日はママはお留守番で一緒に来ないよ!」と云い聞かせた。家を出る際に泣かれるかと思いきや、ジジ・ババとのお出かけを楽しむかのように、バイバイと手を振って出てきた。むしろ母親の方が心配そうに見送っている。2011_1220_133918cimg1142

来年1月末で2歳になる○太郎は、風邪一つ引かず、好き嫌いも全く無く、昔風に云えば「健康優良児」である。そして想像以上の早さで言葉を覚え、片言ながら会話ができるようになった。食事の時には「オイシイ・オイシイ」と云いながら食べ、ヨーグルトなど、まだ食べたい時には「もう一回!食べる!」とお代わりを要求する。反対にもう食べたくない時は、「イラナイ!」とはっきり拒否して食べようとしない。育ジイとしては甘やかせぬよう心がけている。

ある時、トマトを全く食べずに残したまま、大好物のぶどうを食べようとするので、「トマトを食べなければ駄目!」と叱るとウエーンと泣き出した。それでもポロポロと涙をこぼしながら、「食べる!」と口一杯にほお張り、呑み込んでしまったのには、驚くよりも感心してしまった。

○太郎は既にアルファベットを覚え、数字や色などの英単語を理解している。ある日、オモチャ代わりにヨーロッパ土産のチョコレートの空き箱を二つ持たせたところ、即座に「エンプティ!」と叫んだのである。意味が分かっているのかと、後になって「エンプティ」って何?と聞いてみると、「カラッポ」と答える。誰も教えていないので、どうやら幼児向け番組の英語の時間に覚えたらしい。大した記憶力である。2011_1220_141208cimg1184

外で遊ばせるのは私の役目である。この寒さにも負けずに近所の公園へ連れて行き、公園デビューを果たした。ここにはブランコ・すべり台・シーソー・砂場などがあり、幼児を遊ばせるには最適である。日頃は子供を連れた数人の若い母親が集まっている。○太郎はブランコやシーソーなどには一人では乗れないので、お気に入りは砂場である。持参したプラスティックのシャベルやバケツに砂を入れて遊んでいる。この日は、他に女の子が一人いたが、離れずに一緒になって遊んでいた。

実は、○太郎はこれまで女の子が苦手で、オモチャショップなどで遊んでいても、女の子が寄って来ると、すっと離れてしまう。男の子は平気なのに、何故か女の子には近付かなかったのである。この日の様子を見ると、いつの間にか女の子嫌いを克服?したようで一安心である。

○太郎は我が家にお泊りの3日間、母親が居なくても泣きもせず、良く食べ・よく遊び・良く眠った。これも我々の育ジイ・育バアの成果であろうと自負している。果たして、初めての教室で見ず知らずの人の中で過ごせるかは、保証の限りでない。答えは来年の教室で、はっきりするであろう。楽しみである。

2011.12.16

国立能楽堂 定例公演

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狂言 「雁礫」 シテ/大名 小笠原匡 アド/使いの者 吉住講 小アド/目代 野村扇丞

能 「融」 前シテ/老人 後シテ/融大臣 友枝昭世 ワキ/旅僧 宝生欣哉 アイ/所の者 野村万蔵 笛 杉市和 小鼓 横山晴明 大鼓 柿原崇志 太鼓 観世元伯 主後見 中村邦生 地頭 香川靖嗣

今月の国立能楽堂は世阿弥特集月間となっており、「融」も世阿弥の傑作の一つである。紫式部「源氏物語」の光源氏の実在のモデルと云われる源融が主人公。融の霊が陸奥国塩釜の風景を模して造営した六条河原院の廃墟に現れる。そして月光を背景に昔を懐かしんで舞に興じる。

名手友枝昭世が前半の老人から後半は若き融大臣になり切り、優雅にかつテンポの早い舞を、熱演の囃子方に支えられて舞台狭しと見事に舞い興じた。

終演後一緒に観る筈であったS氏に代わり、小唄の師匠であるHさんを交え、居酒屋でミニ忘年会。話題はS氏の病状が中心。食道ガンであることは間違いないようだが、未だ検査が続いており、はっきりしたことが分からない。心配である。

2011.12.13

「世阿弥を継ぐ」展示会と講座

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早稲田大学演劇博物館で開かれている「世阿弥を継ぐ」~十五世観世大夫元章の革新~という展示会を見てきた。元章については江戸時代の能楽界に革命を起こしたという程度の知識しか無かった。

元章の父清親は、九代将軍となる家重の指南役に任命されたことにより、その子元章も、僅か13歳で十人扶持を与えられるなど、さまざまな優遇を受けた。25歳で父の家督を相続した元章は、観世家代々の伝書や文書を調べ上げ、能にまつわるあらゆる事柄(能面・楽器・謡の文句の典拠・史実との関連など)について考証し、数多くの書留類を遺している。それらの資料が館内の一室に所狭しと展示されていた。大半は観世文庫所蔵であるが、博物館蔵以外に法政大学能楽研究所、檜書店他の協力によるものとのことである。

この展示会の一環で「十五世観世元章の姿」というテーマの関連講座があった。講師として二十六世観世宗家と東京大学教授松岡心平が招かれ、二人による対談形式の講座であった。元章のテキスト改革や演出改革など具体的な説明と家元による「高砂」の一部の映像や軽妙な話しが面白かった。Img087

実演では仮設の板敷き舞台で、家元の能といわれる「梅」からクセとキリの仕舞を舞ってみせたり、一子相伝とも云うべき特殊な型の説明をしてくれた。また「梅」を演じる際に使用する面「若女」を持参し見せてくれた。元章の作と云われているので、なんと230年前のものである。いわば門外不出とも云うべき大切な面を公開できるのは、家元ならではのことで、惜しげもなく見せてくれた家元の姿勢は称賛に価するものであった。

2011.12.07

4人組最終戦

4人組ゴルフ最終戦を立野クラシックゴルフ倶楽部で行った。最終戦といっても私には本年3回目のプレーである。3月の震災以来、ゴルフから全く遠ざかってしまった。震災の影響もさることながら、ゴルフ仲間・飲み仲間であったY氏が5月に、そして9月にはO氏が逝ってしまったことが、ゴルフ離れに拍車をかけた次第である。2011_1207_093454cimg1048

4人組は昨年夏のプレーを最後に、腰痛に悩むK氏がゴルフを断念したため、実質的には解散なのであるが、私の仲間やS氏の友人を加えて変則4人組として、毎月の定期戦を行ってきた。思えば2002年春スタートし、10年間は続けようと意気込んでいたが、結局8年で終止符を打つこととなった。それでも約100回I氏・K氏・S氏と一緒にプレーできたのだから満足すべきであろう。2011_1207_120430cimg1052

この日は前日の冷たい雨も上がり、暖かく絶好のゴルフ日和であった。ところがS氏が喉の精密検査を受けるため欠席となり、I氏と私の友人T氏との3人でのプレーとなった。スタートは401yds.Par4のミドルホールから。ティーショットを右方向に押し出しラフに捉まってしまった。セカンドは前方の樹木が邪魔になりラフから出すだけとなり、無理をせず3オンでボギー狙い。しかしパットの感覚が掴めず3パットを打ってしまった。スタートホールはダボであったが、その後は安定し4番までボギーペースで来ていた。5番は367yds.Par4の短いミドルホール。左側は斜面でOBラインが近いので要注意なのだが、左へ引っかけ、まんまと罠に嵌ってしまった。このホールのトリプルを引き金に、後はダボ・トリプルの連続でトータル109という百獣の王(110)一歩手前という不本意な結果で最終戦を終えた。せめてもの救いは随所で満開の山茶花に歓迎されたことである。2011_1207_130935cimg1058

尚S氏は検査の結果、食道ガンと判明し、14日に入院することとなった。暫くはゴルフとお酒を断念せざるを得ないこととなる。一日も早い復帰を祈るのみである。

2011.12.04

好謡会12月例会・忘年会

本年最終の「好謡会」に出席した。偶数月の第1日曜日に開かれる素謡の会である。今月は恒例により忘年会を兼ねた懇親会が開かれる。ところが会の世話役で会場の手配や役付けの通知などの事務局をお願いしているT氏が、クモ膜下出血で倒れ、入院中である。未だ集中治療室から出られず、今月上旬に再手術とのことである。

そのため出欠の確認や懇親会々場の店との交渉などを引き受けることとなった。番組は「巻絹」「班女」「三井寺」「山姥」の素謡4番である。私は「班女」の地頭と「山姥」のシテを勤めた。「班女」のシテは会員の紅一点であるFさんが熱演、それを盛り立てるべく地謡を低めに謡ってみた。しかしクセなど少し低すぎ、曲が沈んだ雰囲気となってしまった。「山姥」のシテは、先月の「松籟会」でI氏が謡ったばかりなので、それを思い出し不気味さを感じさせるように謡った。

懇親会は会場の裏手にある中華料理店Rで。会の創設者で顧問役のI氏参加され賑やかな忘年会となった。このRもI氏の紹介によるものだが、日曜日は休みの店が多いなかで、常に開いているのは、幹事役として有難い。シェフでもありこの店の経営者は中国人なので、味は本物である。予算@3000円で料理と紹興酒をたっぷり楽しんだ。

2011.11.29

つるバラの誘引と屋根工事

冬のガーデニングの一つにつるバラの剪定と誘引がある。5月の開花の後は新枝やシュートが伸びてくる。この枝を切らずに伸び放題にさせておく。本来なら北風が吹き、葉が散り終えた頃が整枝と誘引の時期なのだが、真冬に屋外での作業は厳しいので、初冬の暖かい日を選んで作業をする。今年伸びたシュートはしなやかで、少々曲げても折れることはない。またバラも植えてから20年になるので古い枝から枯れてくる。従って作業は、先ず古い枝を切り取るところから始まる。2011_1126_141704cimg1038

一方、時を同じくして屋根の修理のため工事屋が入っている。これは9月の台風15号で猛烈な風と雨に見舞われた後、我が家の庭に細長いトタン板が落ちていた。てっきり屋根の一部が剥がれて落ちてきたものと思い、工事屋さんに来て貰った。ところが屋根修理専門の業者が点検したところ、特に剥がれたり破損した部分はないとのこと。しかし塗装が剥がれそろそろ手を入れる頃だと云う。いずれ塗装か修理を頼まなければと思っていたので、丁度良い機会と思い工事を依頼した。既存の瓦はそのままにして、その上に薄い鋼板の屋根を葺くとのこと。工事期間も1週間かからないという。その結果、家の周りに足場が建ち防護シートで覆われてしまった。2011_1126_141757cimg1040

ところが、この足場が思わぬ助けとなり、バラの古枝切りに役だった。南側の端にソニアという古いつるバラがある。かってはアーチ状になっていたのだが、1本が枯れてしまい今は樋に這わせて2階のベランダの上にまで伸びている。しかし古い枝は枯れ始めたので、切りたいのだが、屋根近くまでのびていると中々切り難い。そこに丁度良い高さで工事用の足場が組まれたので、その上に登っての作業がし易くなった。おかげで今年は例年になく早めにつるバラの誘引を終えることが出来た。

2011.11.25

芝増上寺 三解脱門

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浄土宗大本山増上寺は御成門にある会社と目と鼻の先にある。国の重要文化財にも指定されている中門(正式名称は三解脱門)が、戦後初めて一般に公開されていると云うので行ってみた。

中門は1611年に徳川幕府の助成により建立された都内で最も古い木造建築物の一つである。間口19m高さ21mの入母屋造り、本瓦葺の二重門はどっしりとした門である。この門自体は常時通れるのであるが、楼上2階内部には釈迦三尊像をはじめ、様々な仏像が安置されており、これが一般に公開されているのである。かつてTVの番組でも紹介されたことがあり、機会があれば一度上ってみたいと思っていた。

案内のチラシによると、三解脱門とは三毒の煩悩から解脱するという意味である。むさぼり(貪欲)、いかり(瞋恚)、おろかさ(愚癡)の三つの毒から離れ、極楽浄土に入る心を作るための門であるとのこと。

仮設の急な階段を上ると2階は広々としており、片側には釈迦三尊像、十六羅漢及び増上寺歴代上人像がずらりと並んでいる。一方反対側は視界が拡がり、すぐ先には大門が見える。その先には浜松町駅、更には竹芝桟橋が見える筈であるが、ビル群に囲まれ全く見ることが出来ない。その昔はここから海を眺め楽しんでいたに違いない。

増上寺は徳川将軍家の菩提寺としても知られている。本堂の裏手にある御霊屋には二代将軍秀忠をはじめ6人の将軍や5人の将軍の正室、同じく5人の側室及び多数の将軍の子女が埋葬されている。TVの大河ドラマ「江」が放映されているためか、秀忠・江夫妻の墓所には大勢の観光客が見学に訪れていた。

2011.11.17

松籟会11月例会とボジョレ・ヌーボー

毎月第3木曜日に開かれる素謡の会「松籟会」に参加した。11月の第3木曜日はボジョレーヌーボーの解禁日でもある。したがって謡会の後は懇親会でボジョレーを楽しむのが恒例となっている。

番組は「草子洗小町」「野宮」「山姥」の素謡3番。10月の例会ではシテ役で「松風」を謡ったばかりなので、今月は主な役は付かず「草子洗小町」のツレ立衆という端役である。ワキと一緒に謡う同吟だけなので、楽な気分だ。その代わり懇親会の幹事役を仰せつかったので、店との連絡や会計係を勤めた。

「野宮」のシテはトルコ旅行で偶然出会ったベテランのS氏。シテである六条御息所を優雅にしっとりと謡った。

「山姥」のシテは15人の会員のなかで最も若いI氏である。7月までオーストラリア・シドニーに駐在し、帰国後に入会した。シドニー駐在中も熱心に謡の稽古を続けていた由。かつて松籟会会員で4年前にシドニーに移住したE氏と現地で謡会を発足させたとのことである。「山姥」のシテは女ながら鬼女となっていくので凄みを感じさせることが必要だが、I氏は緩急自在に鬼女を謡いあげた。さすがである。

17時から駅近くのイタリアンレストランで懇親会。昨年と同じ店である。先ずボジョレ・ヌーボーで乾杯。今年は葡萄の成育に適した天候であったので美味しいとの前評判であった。期待に違わず、適度に熟成し、コクがあって美味しい。しかしボジョレーは割高なので、乾杯程度に留め、普通のワインに切り替えた。この日のメニューはワイン飲み放題なので、またたく間に赤3本、白2本のボトルが空いてしまった。おかげで食べる方が疎かになり、勿体ないとは思うものの最後のスパゲッティーが残ってしまった。

2011.11.12

ミニクラス会in大手町

高校のクラスメイト12人が大手町に集まった。毎年6月にクラス会、秋には有志で集まることが恒例となった。一昨年は横浜の洋館巡り、昨年は真鶴半島の散策を楽しんだ。今年はパソナグループの役員であるM氏が幹事役になり、大手町にある本社ビルを見学した。2011_1112_132529cimg1015

数年前に本社ビルの外壁に埴栽を植え、ビル内部に野菜工場を造ったことで話題となった。以前、M氏の世話で同工場の見学会があり、一部の人は既に見たようだが、私は初めてで、しかもビジネス街のビルの中にある野菜工場とはどんなものなのか、興味津々であった。この日は「パソナグループeco博」というイベントが開かれており、「職」から「触」から「食」までをテーマにセミナーやコンサートなど様々な催しが開かれていた。2011_1112_133425cimg1020

13:30本社ビルに集合し、1階と2階フロアーにある野菜工場を見る。ガラスケースで仕切られた小部屋にトマト、レタス、とうもろこしなど数種類の野菜が整然と植えられている。土を使わず、水耕栽培が中心である。ここの野菜は単なるデモンストレーションに留まらず、ビル内にある社員食堂で使われ、社員の胃袋に収まるとのことであった。2011_1112_140813cimg1023

14:00から地下1階にあるホールでサンバのライブ演奏を聴く。あまり馴染みの無いサンバであるが、パソナのミュージックメイトでもある小田雅子のボーカルを中心に、サックス、ピアノ、ギター、パーカッションなど8人編成の賑やかな演奏を楽しんだ。そのリズミカルなメロディに、未だ行ったことのないリオのカーニバルの雰囲気を感じることができた。

夕方は東京駅前のサビアタワーにあるイタリアンレストランに場所を移しての早めの夕食。赤ワインを中心にチーズフォンデュ、ピザ、スパゲッティなどカジュアルなイタリア料理を堪能した。参加者は女性9人、男性3人と女性偏重のミニクラス会であった。

2011.11.10

トルコ旅行 ③

7日目は終日カッパドキア観光である。早朝5:30に気球会社のマイクロバスがホテルまで迎えに来た。まだ日の出前で辺りは真っ暗である。空には煌々と月が輝いている。しかし風は無い。雨や風の強い日には気球を上げることが出来ないので、晴れて良かった。

バスは気球乗り場へ向かう。ここでブッフェ形式の簡単な朝食を済ませ、早速気球に乗り込む。既に外国人グループが10人程乗っているので、我々のグループ16人は分散して別の気球に乗るのかと思っていたら、何と全員が同じ気球に乗ることになった。26人が一つの気球に乗れるとは想像以上の大きさだ。2011_1015_125757cimg0595

頭上に大きなガスバーナーがあり、それが勢いよく炎を吹き出すと音もなく離陸した。そのまま垂直に上昇する。かなりのスピードだ。またたく間に100m近くまで上がった。気球に吊り下げられた大きな篭は揺れることもなく、騒音もないので快適である。上空は寒いと云われていたので、防寒用にセーターを着込んだが、全く寒さを感じない。2011_1015_133139cimg0610

やがて朝日が昇り始め、眼下の奇岩群に日が当たり素晴らしい眺めとなった。周りにも沢山の気球が上がっている。気球には二人の乗務員が乗り、巧みにワイヤーを操り移動する。奇岩の真上を通過したり廻ったり自由自在である。高度は最高1000mまで上がった。約1時間の空中遊泳の後、地上に降りる。地上では気球会社のスタッフがシャンペンを用意して待機しており、遊覧を記念して冷えたシャンペンを振舞ってくれた。2011_1015_174415cimg0662

次いで上空から眺めた奇岩群をバスで廻る。キノコのようなユニークな形をした岩やラクダ岩、三人姉妹の岩などいずれも巨大な岩が点在する光景は、カッパドキアならではのものである。「ギヨレメ野外博物館」は古代ローマ時代にキリスト教徒が岩を掘って住み始め、岩の中に多くの洞窟教会をを造った。このギヨレメの谷一帯を博物館として公開しており、世界遺産にも登録されている。なかでも「暗闇の教会」内部のフレスコ画は保存状態が良く鮮やかな壁画が遺されている。2011_1015_223057cimg0725

翌朝は近くのネヴシェヒル空港から約1時間20分のフライトでイスタンブールへ戻った。市内観光の一つとしてローマ時代に建立された「アヤソフィア」聖堂へ行く予定となっていた。ところがこの日は市内で市民マラソン大会が開かれ、メイン道路が交通規制を受け、大渋滞となってしまった。そのためアヤソフィア見学を中止し、近くのガラタ塔へ登ることとした。塔は約70mありイスタンブール市内が一望できるのだが、生憎雨に降られ眺望は良くない。2011_1016_201049cimg0776

次いで「軍事博物館」へ。ここはかっての陸軍学校の建物を改装して博物館としたものだが、オスマン軍やビザンチン時代からの武具や装備が整然と展示されている。時代ははっきりしないが、徳川将軍から贈られたという日本刀も展示されており興味深い。ここでは軍楽隊の勇壮なパレードを楽しんだ。2011_1016_223640cimg0785

この日は今回のツアーの目玉の一つで、宮殿ホテル、チュラン・パレスに宿泊し、ディナーを楽しむこととなっていた。建物はオスマン朝時代の王宮を再建した荘厳華麗なホテルである。かって小泉元首相がトルコを訪問し、このホテルでレセプションを開いたとのことで、格調高い。早めにチェックインを済ませ部屋に案内される。部屋は驚くほどの広さではないが、家具、調度品等どっしりと落ち着いた雰囲気である。やがてボーイさんがウエルカムフルーツとお菓子を運んできた。お盆にはメッセージカードが添えられており、キメ細かいサービスである。格調高いホテルでのディナーなので、皆夫々ドレスアップして優雅にディナーを楽しんだ。2011_1017_161557cimg0855

最終日は貸し切りのチャーター船でボスポラス海峡クルーズへ。チャーター船なので船乗り場へ出向かずとも、船の方からホテルへ迎えにきた。ホテルの裏側には専用の岸壁があり、そこから舟に乗り込む。波はなく揺れることはないが、風が冷たく肌寒い。それでもデッキに出て左右の景色を楽しむ。ボスポラス海峡は黒海とマルマラ海を結ぶ南北30km程の海峡で、幅は狭いところで800m程である。海峡沿いにはドルマパフチェ宮殿やチュラン・パレスホテルはじめ、オスマン帝国時代の高官の別荘など歴史的建造物が建ち並んでいる。

昼は市内の日本食レストランで本物の和食を食べ、空港へ向かう。トルコ航空16:55発TK050便にて帰国の途に就いた。帰国後、トルコ東部のワンという町でM7.2の地震が発生し、死者数百人と報じられた。イラン国境に近い地域なので、旅行中であっても影響は受けなかったと思うが、それでも帰国後で良かった。

2011.11.07

トルコ旅行 ②

3日目は午前中イスタンブール新市街地区にあるドルマバフチェ宮殿を見学しチャナッカレへ向かう。2011_1011_154821cimg0242

ドルマバフチェ宮殿   ボスフォラス海峡沿いにあるオスマン帝国最後の宮殿。1938年11月、トルコ共和国初代大統領アタチュルクが執務中にここで亡くなった。 今でも宮殿内の時計の一部は大統領の死亡時刻9時5分で止められている。大ホールにはヴィクトリア女王から贈られたという重さ4.5tの巨大なシャンデリアが吊られ、床に敷かれたヘレケ産の手織り絨毯は4500㎡もあり豪華そのものである。

イスタンブールからマルマラ海沿いにバスで3時間、セルボウという町からフェリーに乗りダータネルス海峡を渡る。更にバスで3時間、チャナッカレという町に到着。2011_1012_153747cimg0309

4日目はチャナッカレの近くにあるトロイの遺跡へ。ギリシア神話「トロイ戦争」に因んで巨大な木馬が観光用に建てられている。 遺跡は城門や傾斜路、儀式の台座などが遺されているが、世界遺産としては規模は小さい。2011_1012_212759cimg0355

次いで約200km南下し、ベルガマという町へ。小高い丘の上にはBC3世紀に築かれたアクロポリスの遺跡がある。トラヤヌス神殿には巨大な大理石柱が立ち、かって繁栄したベルガモン帝国の偉容が偲ばれる。その日はエーゲ海に面したイズミールという古い港町で宿泊。ホテルは32階建の豪華なホテルで、夜景が美しい。2011_1013_174258cimg0456

5日目はイズミールから1時間程のところにあるエフェソス遺跡へ。ここはトルコ最大の遺跡で、ギリシア時代には小アジア最大の都市国家として君臨した。その繁栄ぶりを伝える壮大なスケールの遺跡が遺され、復元整備されている。2011_1013_231329cimg0493

次いでエフェソスから東へ200km、約3時間のドライブでパムッカレへ。パムッカレとは「絹の城」の意味で、かって絹の産地であったことに由来する。トルコ有数の温泉地で、段々に連なる真白い岩棚が、空の色を映しキラキラ輝いて美しい。世界遺産にも登録されている。以前は石灰棚のプールに入ることが出来たようだが、今は保護のため一部分だけ入場可能で、靴を脱ぎ裸足での入場となる。足湯に浸かっているようで気持ちが良い。パムッカレのホテルは温泉付きで大小の温泉プールが併設されている。部屋で水着に着替え近くにある温泉に浸かる。屋外のプールには熱いお湯が噴き出ており、足底は泥がたまりヌルヌルしている。室内は温水プールで、軽く泳ぐのに充分であった。2011_1014_132838cimg0526


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翌日は移動日でトルコ東部にあるカッパドキアへ向かう。パムッカレから約650km、9時間のバスツアーである。途中コンヤという古い町を訪ねる。ここはセマ(旋舞の儀式)で知られるイスラム神秘主義のメヴレヴィ教団発祥の地である。創設者メヴラーナ・ルーミーの霊廟で、現在は博物館として公開されている。青緑の美しいタイル張りの塔がひときわ目立つ。海外からの観光客や国内からお参りに来る人で混雑していた。

その中庭で偶然知人のS氏にパッタリ出会った。S氏は松籟会の古くからのメンバーであるが、私同様トルコ旅行中とのこと。偶然とは云え、トルコの片田舎の観光地で会うとは世界も狭いものだと、暫し立ち話しをして別れた。その後、帰国の際イスタンブールの空港でも再び出会った。搭乗した飛行機が同じであった。2011_1015_015456cimg0571

コンヤの町から更に東へ220km、3時間バスに揺られ、トルコならではの観光地であるカッパドキアに到着。ここのホテルは自然の岩をくり抜いて造った洞窟ホテルであった。室内は岩肌がむき出しになっており、まさに洞窟である。しかし想像以上に室内は広く、落ち着いた雰囲気である。ここに2泊した。

2011.11.03

トルコ旅行 ① (10月9日~18日)

初秋のトルコを旅行した。K社の主催するツアーで、カッパドキアの奇岩群を気球に乗って、上空から眺めると云う点とイスタンブールではチュランパレスに宿泊するというセールスポイントに魅せられたからである。

成田からイスタンブールまでは約12時間のフライトである。トルコ航空には初めて乗ったが、サービスが良く、乗客全員に機内スリッパやアイマスクなどの入ったポーチを配ってくれた。12:00発TK051便は約30分遅れで離陸した。離陸後1時間程で飲み物サービスが始まった。早速トルコのビールEFESを飲む。くせが無くすっきりした喉ごしである。

現地時間18:30イスタンブール・アタチュルク空港へ到着。トランクのピックアップや通関手続きを経て、バスで30分程で市内のホテルに入る。日本時間では深夜の2時頃なので、すぐ眠ってしまった。

2日目はイスタンブール市内観光へ。首都は第一次大戦後アンカラに移されたが、イスタンブールはトルコ最大の都市である。ボスフォラス海峡を挟んで東のアジア側と西のヨーロッパ側に分かれ、ヨーロッパ側は更に世界遺産に登録された旧市街と新市街に分けられる。主な観光スポットは旧市街に集中している。2011_1010_155526cimg0060

スルタン・アフメット1世ジャミイ  オスマン帝国時代のイスラム教寺院。17世紀初めにアフメット1世によって建てられた。内部の装飾が青色に塗られた時期があり、通称ブルーモスクと呼ばれている。巨大なドームと6本のミナレット(尖塔)が印象的

ヒポドローム(ローマ競技場跡)  3世紀初頭に建造された競技場跡でブルーモスクの西側にある広大な広場となっている。直線距離で500m以上ある。かって戦馬車によるレースが行われたと云われる。2011_1010_193357cimg0122

トプカピ宮殿  メフメット2世により15世紀に建てられ、歴代のスルタン(皇帝)が約400年に亘り居城とした。広大な敷地内は博物館となっている。宝物館には柄に3つの大きなエメラルドをはめ込んだ黄金の短剣や86カラットのダイヤモンドなど目を見張る宝石類が展示されている。ハーレムは何百もの小部屋、居間などから成り、タイルやシャンデリアなどの装飾が美しい。2011_1010_165544cimg0089

地下宮殿  ビザンチン時代に造られた大地下貯水池。水道橋から引いた水はここに貯えられ、トプカピ宮殿にも供給された。内部には装飾された336本の大理石の柱が立ち並び、幻想的な景観だ。2011_1010_222330cimg0161

グランドバザール  約4400軒の店がひしめきあうイスタンブール最大のマーケット。宝石・金銀細工・皮革製品・絨毯などトルコのあらゆる産物が売られている。

グランドバザールから新市街にあるホテルまでは20分程度の距離であるが、夕方のラッシュ時は大渋滞でなんと2時間近くかかってしまった。どうやら金角湾にかかる橋がネックとなっているようだ。なんとかならないものかと思う。2011_1011_033707cimg0202

夜はベリーダンスを楽しみながらのディナー。ベリーダンスは想像以上に激しい動きでダイナミックであった。

2011.10.29

孫のショートステイ(10月25日~29日)

孫の○太郎がやって来た。4泊5日の滞在である。トルコ旅行中の10日間は声も聞いていなかったので、○太郎との再会を首を長くして待っていた。会社にも行かず、趣味の菜園や観能も棚上げして育ジイに専念した。2011_1028_094117cimg0921

久しぶりに会うと、身体がひと回り大きくなり、顔付きも赤ん坊顔から幼児顔に変わってきたように見える。集中力も強くなり、何か新しいものを見つけたり聞いたりすると、目をキラキラと輝かせ、そのことに集中しているのが分かる。

1年8ヶ月目の○太郎は、つい1~2ヶ月前までは片言の「マンマ」や「ダッコ」程度しか話せなかったが、最近は大人の言葉を覚え、使い始めている。勿論、意味が分かって使っているとは限らないが、タイミング良く発する言葉には思わず笑ってしまう。

食事の後に葡萄5~6個を皿に載せ食べさせていた。残り2つになった時「オジイちゃんに一つ頂戴!」と云って手を出すと、一つ掴んだのはよいのだが、そのまま自分の口に頬ばり「ザンネンでしたア!」と云ったのには皆で爆笑してしまった。誰も「残念でした」という言葉を教えてはいないので、大人の会話やTVから覚えたに違いない。

○太郎は何故か私の眼鏡姿が嫌いである。普段は眼鏡をかけておらず、新聞を読んだりPCに向かう時にのみ眼鏡を使う。従って私が眼鏡をかけている時は殆んど寄りつかない。ある時、私の処に走り寄ってきて、眼鏡姿を見るや否や、くるっと回れ右をして母親に抱きつき「ワジャワジャ」と云いながら泣きじゃくってしまった。「ワジャワジャ」の意味が不明なのだが、ワザワザ来たのに当てが外れたという意味ではないかと思う。そうなると、ついイジらしくなり、眼鏡を外し抱き上げてしまう。2011_1028_111640cimg0929

天気の良い日を選んで近くの公園へ連れて行った。この公園は桜の名所であるが、「ちびっこ動物園」が併設されていることでも知られている。つまり子供達が小動物に直接触ることが出来るのである。この日はひよこ・二十日ねずみ・モルモットなどが大きな箱に入れられ、誰でも自由に箱から出して触れるようになっていた。○太郎は初めて見る動物に戸惑っていたが、そのうち慣れて触り始めた。じっとして動かないモルモットより、モゾモゾ動く子ねずみの方が気に入ったようである。恐らく絵本などでねずみの絵を見ていたので、親しみを感じたのだろう。ところが娘は気味悪がってねずみなど見ようともしない。この点では○太郎は既に母親を超えたのである。

2011.10.22

山本順之の会 特別公演

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仕舞  「実盛} 観世銕之丞 「花筐」 観世清和 「天鼓」 観世淳夫

狂言  「萩大名」 シテ/大名 野村萬斎 アド/太郎冠者 高野和憲 小アド/亭主 石田幸雄

能   「姨捨」 前シテ/里女 後シテ/老女 山本順之 ワキ/陸奥信夫何某 宝生閑 ワキツレ/同行者 宝生欣哉 同 大日方寛 アイ/所の者 野村万作 笛 一噌仙幸 小鼓 大倉源次郎 大鼓 柿原崇志 太鼓 小寺佐七 主後見 観世清和 地頭 観世銕之丞

10年間続いた「山本順之の会」が終わってから7年振りの特別公演を観た。今回は能の奥義を極めるといわれる三老女物の中から「姨捨」が演じられた。今昔物語などで知られている姨捨伝説に基づいた世阿弥の作品といわれる。

物語の舞台は、昔より月見の名所とされる信濃の国更科。姨捨山に捨てられた老女の霊が、月見にやってきた旅人と月を愛でる。澄みわたる満月のもと、盛りを過ぎた我が身を嘆きつつも月の美しさに酔い、舞い遊ぶ。シテの順之師は「姨捨」は披き(初演)とのことである。

昭和の名人観世寿夫は53才で亡くなったが、老女物としては「卒都婆小町」しか演じていない。その寿夫の薫陶を受けた順之師にとって、「姨捨」を演ずることには強い思い入れがあったに違いない。ワキの宝生閑をはじめ囃子方にも実力者を配し、地頭に銕之丞、主後見に宗家という最高の布陣。低く抑えられた謡と静謐な舞は老いの孤独さを浮き彫りにしながら、月光と同化し、昇華された老女を演じた印象深い舞台であった。 

2011.10.20

松籟会 10月例会

トルコ旅行の時差ボケが解消する間もなく、毎月第3木曜日の素謡の会・松籟会に出席した。今回はいつもの新橋の会場が使えず、代々木のふれあい会館会議室が会場となった。ここの会議室は部屋が狭く、机を並べ10人が座ると一杯になる程である。幸い常連メンバー3人が欠席で11人が出席。狭い部屋のため、前後左右の人の息遣いが近くに感じられ、謡のまとまりが良いという想定外の効果もあった。

番組は「葛城」「松風」「芦刈」の三番で、修羅物のない比較的静かな曲ばかりである。私はシテ役で「松風」のシテを勤めることになっていた。曲は松風・村雨という汐汲みの姉妹と中納言行平との恋を描いた名作で、謡いどころの多い曲である。シテ・ツレとも若い女性であり、二人の同吟も長く続く。ツレはベテランのY氏で、良く響く太い声の持ち主なので、ツレに引っ張られないように高い調子で謡った。行平への強い恋慕の情で心乱れた松風を表現するので、少々狂った方が良いと思ったからである。終わってY氏から、シテについていくのが大変だったと云われる程高い音だったのかも知れない。

11月の第3木曜日はボージョレーの解禁日なので、例年通り懇親会でワインを楽しむ予定。これも楽しみである。

2011.10.07

第3回 SST水彩画展 10月4日~10日  かなっくホール

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友人K君が出品している水彩画展を観てきた。SSTとはスケッチお酒をこよなく愛し、楽しむ仲間とのことで、かって水彩画教室の仲間が9人で3年前に立ち上げた会である。毎年10月に展覧会を開き、今回が3回目となる。

9人のメンバーが市内や旅行先でのスケッチを5点づつ出品している。いずれも中々の力作である。油絵とはひと味違った趣きで、しかも風景画ばかりなので、過去に訪ねたことのある場所のスケッチに出会うと、親近感のような懐かしさを覚える。

K君の作品は横浜市内、尾瀬、スイスの風景をスケッチした5点であった。水彩画を始めてから、まだ6~7年とのことであるが、元々絵ごころがあったのか、年毎に上達しているのが窺える。この日は当番ではないのでK君は会場には居なかったが、事前に了解を取り写真を撮らせた貰った。

2011.10.05

国立能楽堂 10月定例公演

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狂言 「萩大名」 シテ/大名 野村萬 アド/太郎冠者 野村扇丞 小アド/野村万緑 

能  「安宅」 勧進帳 酌掛之伝  シテ/武蔵坊弁慶 浅見真州 ツレ/源義経 片山九郎右衛門 ツレ/義経の郎党 清水寛二 同 柴田稔 同 馬野正基 同 下平克宏 同 大松洋一 同 松木千俊 同 武田尚浩 同 岡久広 同 武田宗和 ワキ/富樫 宝生閑 アイ/強力 野村万蔵 アイ/従者 小笠原匡 笛 藤田六郎兵衛 小鼓 大倉源次郎 大鼓 柿原崇志 主後見 観世銕之丞 地頭 武田志房

国立能楽堂の定例公演を観た。人気曲「安宅」と名手真州とあって見所は満席である。安宅の関で、弁慶の機転により関所を通過した義経主従を描いたもので、弁慶による勧進帳の読み上げや男舞など見どころの多い能である。

ベテラン真州がどのような弁慶を演じるのか、見ものであった。勇ましさよりも、関守富樫との虚々実々の駆け引きにより、主君を守った弁慶の知的参謀ぶりが印象的であった。しかし、艶やかな真州の音質が弁慶らしくない点も些か感じられた。

義経を子方とせず、ツレとして九郎右衛門を登場させたが、子方の甲高い声よりも大人の方が、いかにも主君義経らしさが出て良かった。また宗家筋と銕仙会系との混成チームでツレ及び地謡を勤めた。義経の郎党9人を、身体の大きさで選んだのではないかと思わせる程、屈強な9人の一糸乱れぬ動きと同吟は見事であった。反面、地謡陣の力弱さが気になったものの、囃子方三役の頑張りが舞台を盛り上げ、見応えのある110分であった。

 

2011.10.02

好謡会 10月例会

偶数月の第1日曜日に開かれる素謡会「好謡会」に参加した。番組は「清経」「通盛」の修羅物2番と狂女物「百万」の素謡3番である。役は「清経」のシテ、「通盛」の地頭、「百万」のワキを勤めた。ベテランのN氏、Y氏が欠席で参加者が8人となったため、一人で何役も勤めざるを得ない。

「清経」の主人公は入水自殺を遂げた左中将清経である。前半はその亡霊が妻の前に現れる。少し高めに音を取り、平家の公達を意識して謡った。

「通盛」は阿波の鳴門で入水した平通盛の妻、小宰相の局と通盛の最期を描いたもの。前半はしんみりと謡い、後半は戦いの場で、通盛討死にとなるので剛吟でしっかりと謡った。2曲続けて修羅物を謡ったので喉が枯れてしまった。

3曲目の「百万」は紅一点の会員Fさんがシテ、私がワキを勤めたが、余り力の入らない弱々しいワキとなってしまった。良く通るFさんの声と対照的であった。

次回は12月で忘年会も開かれる予定。

2011.09.23

第22回 響の会

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能  「当麻」 前シテ/老尼 後シテ/中将姫 清水寛二 ツレ/女 伊藤嘉章 ワキ/旅僧 工藤和哉 ワキツレ/従僧 大日方寛 同 御厨誠吾 アイ/門前の者 山本東次郎 笛 松田弘之 小鼓 観世新九郎 大鼓 亀井忠雄 太鼓 助川治 地頭 観世銕之丞 主後見 浅見真州 

狂言  「八句連歌」 シテ/借主 山本東次郎 アド/貸主 山本泰太郎

能  「俊寛」 シテ/俊寛 西村高夫 ツレ/丹波少将成経 浅見慈一 ツレ/平判官入道康頼 泉雅一郎 ワキ/赦免使 宝生閑 アイ/船頭 山本則秀 笛 藤田次郎 小鼓 鵜澤洋太郎 大鼓 柿原崇志 地頭 野村四郎 主後見 北浪昭雄 

銕仙会などで活躍の清水寛二・西村高夫両師が主宰する「響の会」へ行ってきた。両師ともに大学観世会出身で観世寿夫・銕之丞に師事し、今や銕仙会の理事である。

「当麻」は奈良の当麻寺の本尊、曼荼羅に関する伝説に基づくもので、極楽世界の素晴らしさを、清水が気品溢れる早舞で再現した。また「俊寛」は鬼界島に一人残された俊寛の悲嘆ぶりを、西村が身体全体で見事に演じた。

両舞台ともワキ・アイ・囃子方・地謡陣のベテランが一体となり、シテを盛り上げ見応えある舞台となった。また能の公演では珍しく、終演後ロビーにワインや地酒などを用意しワンドリンクサービスとして観客に振舞った。短時間ながら演者との懇談の場となった。今後もこの企画を続けて欲しいものだ。

 

2011.09.18

秋・冬野菜の準備

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菜園の夏野菜もそろそろ終わる頃となり、秋・冬野菜の準備に精を出している。連日の猛暑で畑仕事も、早朝か夕方の涼しい時間に限られてしまうが、久しぶりの雨予報を信じて葉物の種蒔きを行った。ホウレン草・春菊・小松菜・チンゲン菜などである。

菜園ではお盆の頃に播いた大根や白菜が成長し始めた。特に大根は成長が早く、2回目の間引きを行った。昨年は暑さと虫にやられてしまい、2度播き直しを行ったが、今年は虫除けのネットで防虫対策を施した。その成果は期待以上で、全く虫の被害を受けずに済んでいる。ところが白菜は種が古かったせいか発芽率が悪く、2度目の種播きでやっと発芽したところである。冬の鍋の季節に間に合うか心配である。

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お盆前に播いたキャベツ・ブロッコリーはかなりの大きさになっているが、一部芯喰い虫にやられてしまった。大根などと同様に防虫ネットを張っていたにも拘わらずである。ネットのお陰で、キャベツには付きものの青虫は防ぐことが出来たのだが、まさに伏兵現るである。ネットの中で順調に育っていると思い、少し油断をしてしまった。一体どうやって厳重な警戒網を掻い潜ってキャベツに取りついたのだろうか。虫との闘いはこれからも続きそうである。Img_7554

一方、夏野菜の地這キュウリ・ナス・ピーマンはまだまだ元気で実を付けている。トマトも脇芽を移植したものが元気で実は小さいが、頑張っている。菜園が狭いので、そろそろ冬用に場所を明け渡して欲しいのだが、元気な枝ぶりを見ると、そう無下にはできない。あと半月我慢してみよう。

2011.09.09

銕仙会 9月定期公演

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能 「井筒」 前シテ里女 後シテ有常ノ娘 観世清和 ワキ旅僧 宝生閑 アイ里人 山本泰太郎 笛 一噌仙幸 小鼓 幸清次郎 大鼓 國川純 地頭 浅見真州 主後見 野村四郎

狂言 「茫々頭」 シテ太郎冠者 山本東次郎 アド主人 山本則重

能 「菊慈童」 シテ慈童 観世淳夫 ワキ勅使 御厨誠吾 ワキツレ従臣 大日向寛 同 則久英志 笛 一噌隆之 小鼓 亀井俊一 大鼓 亀井実 太鼓 観世元伯 地頭 山本順之 主後見 観世銕之丞

「井筒」 在原業平と紀有常の娘との恋物語を描いた世阿弥の名作。観世宗家が年に一度だけ銕仙会に出演する。いわばアウェイでの公演なので、相当に力が入っていた。迎える側も同様で、通常90~100分の舞台が120分もかかってしまった。その分、舞も謡も丁寧でしっとりと演じられたのだが、少しネットリとした感が強かった。終演後に久しぶりで顔を合わせた仲間との酒飲み話でも同様の感想であった。

ところで、日本永住を決め9月に来日したばかりのドナルド・キーンさんをロビーで見かけた。これからも能楽堂でその姿を見かけるに違いない。

2011.09.06

友人O君の死

親友O君が亡くなった。肝臓ガンであった。昨年夏の検査入院でガンが発見されたとのことだが、ゴルフ仲間や友人にはガンと闘っていることは伏せていた。勿論私も知る由もなかった。

6月10日に開かれた「らいおん会」には、ドクターストップでお酒は控えているとのことながら、元気な顔を見せ、ウーロン茶を片手にダベッテいたのにである。今にして思えば、飲み仲間に会う最後の機会と思い、密かに別れを告げに来たのに違いない。別れ際に涼しくなったらゴルフをやろうなと誘われたのだが、残念ながら実現せぬまま逝ってしまった。彼がその時どのような気持ちで声をかけてくれたのか、今となっては確かめようもない。

O君とは入社後、3ヶ月に亘る工場での研修や販売実習等の時から、何となくウマが合い親しくなっていった。学校が同じだったことや、お酒や麻雀で一緒になることが多かったためであろう。スマートな体型はいかにもスポーツマンらしく、アウトドアを好むところも共通していた。研修を終え、同じ部門に配属になったものの、彼は福岡、私は東京と離れてしまった。

机を並べたのは入社後15年以上経ってからで、大阪支店での1年間程でしかない。しかし、この大阪時代は会社生活のなかで、最も思い出深い時代であった。借り上げの社宅がお互いに目と鼻の先にあり、家族ぐるみでの付き合いをしていた。仕事は営業の第一線で出張が多く、顔を合わせるのは週に1~2度であった。支店のメンバーが揃うと、アフターファイブは上司や先輩と連れだって新地へ繰り出すのが常であった。

カラオケが出始めた頃で、彼はいち早く谷村新司の「昴」をモノにし、美声を聴かせてくれたものだった。ひとしきり遊んだ後、自宅へ帰るのだが、自宅のすぐ近くに遅くまで開いているスナックがあった。いわば男の隠れ家的な存在だ。そこでまた飲み直し、日付が変わった頃やっと我が家へ戻るという有り様。この時代は本当に良く飲んだものだ。

退職後は「らいおん会」の仲間として、またゴルフの良きライバルとして、年に数回は一緒にプレーしていた。昨年4月の「らいおん会ゴルフ」は川崎国際ゴルフ場で行われたが、桜が丁度満開でお花見ゴルフとなった。無類の日本酒党であるO君は、昼食時にはビールだけでは足りず、花見酒と称して日本酒を追加していた。それでもスコアはO君が92というベストで回り圧勝であった。

今頃はあの世で杯を傾け、我々に”早く来い!一緒に飲ろう”と手招きしているようだが、もう少し彼を待たせておくことにしよう。      合掌

2011.08.27

大学OB会 夏の謡会

番組  素謡「竹生島」  連吟「松虫」 「三井寺」 「智恵子抄」 「山姥」  仕舞「嵐山」 「敦盛」 「国栖」 「羽衣」 「枕之段」 「殺生石」 「野宮」 「雨月」 「花筐」 「芭蕉」 「山姥」

大学観世会OBによる謡会に参加した。例年8月最終土曜日に開かれるが、今年は3年毎の全国大会となっている。舞台は青山の銕仙会舞台。番組は素謡1、連吟4、仕舞11番と例年になく盛り沢山な内容。これは銕仙会等で活躍中の能楽師S師が若いお弟子さん6人を連れて初めて参加してくれたお蔭である。全員卒業後10年以内の若手OBで、溌剌とした仕舞を舞い、日頃の稽古を重ねている様子が窺えた。

古手OBでは徳島から参加のMさん、奈良のIさんはじめY師のお弟子さんであるT氏などがベテランの味で気を吐いた。また連吟は7月の全国大学OB謡会で謡った「智恵子抄」を再び謡った。会の前にY師からみっちり稽古をして頂いたので、更にメリハリのある「智恵子抄」になったのではと自負している。今後も「智恵子抄」を「会謡」として、大事に謡っていきたいと念じている。

懇親会は昨年に続いてK氏のお世話で表参道の「まい泉」で。参加者が30数名となったので、大広間を用意してくれた。この店はかっての銭湯の建物を改造して、店として使っている。この大広間はその名残で天井が高く、昔の面影を偲ばせる風情だ。Y師、S師、古手、若手OBによる和気藹々とした会で楽しいひと時であった。

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